このページには、がんが再発した患者さんの体験談をもとにした、人生に対する思いにまつわる手記を掲載しています。たくさんの方々のさまざまな向き合い方を通して、今度はあなた自身の向き合い方を見つけてみてください。
人生を誇りを持って進みたい
周りの友達が当然のように仕事をして、結婚して、出産しているのを見ると、自分だけ取り残されたような気持ちになります。
祖母や母など身近な人の姿から、仕事をして、結婚して、出産して、育児をして……というのが当たり前の道だと思っていたのに、がんの再発によってその道を歩けなくなりました。見本のない人生をどう生きるか、私にとって大きな課題であり、不安でもあります。でも当たり前の道を歩いていたらできなかっただろうことをたくさんして、取り残されるのではなく、誇りを持って進みたいと思っています。
(岐阜県、27歳、女性)
がんをきっかけに考えた人生の意味
私自身ががんになって、何でがんになったんだろうとか、自分の人生の意味みたいなことを考えました。がんをただ災難と、そういうふうに考えている人もいると思うのですが、意味を探すということも重要な気がします。人生においてがんになってしまったことをきっかけに、自分の人生を問い直してみるいい機会にしてもいいのかなと思ったんです。再発したときに余命を突き付けられて、「40代で私死ぬんだ、人生に何も残していない……」と思ったんですね。でも、「人間はまた生まれ変わり、そのたびに人生があってその中で成長するんだ」という考え方を本で読んでそれが自分の救いになりました。
この考え方をほかの人に押し付けるつもりはありません。ただ、私は死ぬことに今は全く恐怖心がなくなりました。おばあちゃんが天国から見ているとか、そういう魂の存在を何となく信じているというところに通じるのかもしれません。
(北海道、49歳、女性)
生きる意味を考えることで救われました
がんを宣告されると、死を強く意識せざるを得ません。そして、自分が早く逝くかもしれないことの運の悪さを嘆いたり、悲しみや寂しさなどを感じたりするものです。普段は考えもしなかった死について漠然とした恐怖を感じることもあります。私たちの大事な人ががんを宣告された場合や、大事な人を亡くしてしまった場合も同じです。私が再発しこのような状態になったとき、ある詩と本に出会い、とても感動し救われる思いを経験しました。私の場合には、この詩や本に書かれている人間は何のために誕生するのか、何のために生きているのか、そして死とは何かなどに関するヒントの中に、心の琴線に触れるものがあったのでした。
(東京都、58歳、男性)
家族のために大事なことを綴る
改まって妻と向かい合って話すには照れくさい。しかし自分が旅立った後、家族が迷わないように伝えたいこともある。大学ノートに備忘録のように書き綴(つづ)ってみた。無駄な延命治療はしてほしくないと書いた。妻が疎(うと)い証券会社との取引もわかりやすく記録として残した。お墓のこと、葬儀のこと、いざというときに知らせてほしい友人知人などなど、気が向いたときに書いてみた。気が変われば×(バツ)をして書き換えた。
妻のこと、子どもたちのこと、自分の人生を改めて考えた。書きながら困ったとき、考えあぐねたとき、いつの間にかノートを間に妻と話し合っていた。書きながら消しながら今までの人生をこれからの人生を書き綴ってみたい。人生の店じまいを迎える日のために!
(広島県、64歳、男性)
家族の未来に思いを寄せる
私は、自分が死んだ後、幼い子どもや夫がどうなってしまうのかと考えると、長い間、恐ろしさで胸がつぶれそうでした。ある日、ふと、もし私が死んだら、私よりももっとよい奥さんに夫が巡り合うかもしれない、子どもたちも私よりももっとすてきなお母さんに巡り合うかもしれないと思いました。そしたら、急に気持ちが軽くなったのです。
私は、自分ができなくなることにばかり気をとられていたけれど、何かわからない大きな力が、きっと夫や子どもを守ってくれる、今は、そんな気がするのです。
(東京都、50歳、女性)
夫の介護がもたらした家族の成長
夫の病状が進んで、私は付きっきりになり、娘たちに何もできないばかりか、娘たちにも介護の苦労をさせるようになりました。それがふびんで、私は苦しみました。けれど、娘たちの今の苦労は、生きること、死ぬこと、いたわり合うことを学ぶ、彼女たちにとって大事な機会なのですよね。娘たちの成長を見て、そう思いました。無意味な苦労なんて、きっと、ないのですよね。
(神奈川県、63歳、女性)
穏やかだった夫の旅立ち
55歳でがんになり、さまざまな痛みと闘い続けた8年半。
夫はいつも眉間(みけん)にしわを寄せ、つらそうな顔をしていました。
その朝は違っていました。透き通るような白い肌、眉間のしわもなく、とても楽そうな寝顔でした。息を殺してじーっと夫の顔を見つめていました。暫(しばら)くすると呼吸の感覚が少しずつ長くなり始めました。ナースコールを押し看護師さんに来ていただきました。「先生を呼んできます」と病室を飛び出し、担当医とともに病室へ戻ってこられました。待っていたかのように3人の見守る中で静かに静かに夫は息を引き取りました。
何と穏やかな死なのでしょうか。
あんなに死を恐れ、生きることに一生懸命だった夫がこんなに死をあっさりと受容してしまうなんて、どんな気持ちで旅立ったのでしょう。いつかあの世で出会ったら聞いてみたいと思っています。
(広島県、59歳、女性)