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がんに向きあう思い

更新・確認日:2019年04月23日 [ 履歴 ]
履歴
2019年04月23日 「患者必携サイト」から移設しました。
2013年10月15日 普及新版(2013年9月発行)の内容に更新しました。
2012年02月01日 掲載しました。
このページは、書籍「患者必携」シリーズの内容を抜粋して掲載しています。

1.がんと告げられたときを振り返って

がんを告知されたとき、やはり死を意識しました。その後、がん治療を受けるため、 がんのことをいろいろ勉強しました。たくさんの闘病記も読みました。そして、死を見つめることは、どう生きるかを見つめることだと気付きました。私は再発しましたが、現在幸いにして症状は落ち着いています。けれども、限りがある命を生きているという気持ちは常に持っています。だから日常の些細なことにも感謝できるし、幸せを感じることができます。それは、がんにならなければ、決して感じることはなかったと思います。

がんになってしまったことは、変えられません。それならば、自分の今までの人生を見直すよいチャンスととらえた方が楽です。もちろん、どんな治療を選択するべきかで、とても悩むし、いざ治療が始まれば、 それはとてもつらいし、今後どうなるのか不安でたまらなくなるときもあります。そんなときは、患者会などで、 同じ体験をしている人と気持ちを分かち合ったりすることで、苦しいのは自分ひとりじゃないとわかり、勇気がわいてきます。

2.慌てて決断をしないで時間をかけて情報を集め、納得できる選択を

乳房の切除手術をしなければならないとわかったとき、乳房のない自分を想像するだけで涙があふれ出し、「術後すぐに乳房の再建手術を受けよう」と決心しました。ところが手術までの数日間、インターネットや本などで情報を集めていくうちに、再建への決意が次第に薄れていき、結局は再建しないまま手術から5年がたちました。下着などに多少不便なことはありますが、生活を送る上で特に困ることはありません。また、今の私が手術前より女性としての魅力が減ったとも思っていません。

乳がんと告げられれば、どんな女性でもパニック状態におちいります。でも、そのような状態で、手術の方法や再建手術などを焦って決めることは、とても危険だと思います。乳がんは一般に、一刻を争って治療をしなければいけないものではないので、いろいろな情報を集め、必要であればセカンドオピニオンを求めたりして、自分が納得できる選択をすることが一番大事だと、今振り返ってあらためて強く思います。

3.病気になってもチャレンジを続ける

私は抗がん剤治療を6年半休むことなく続けていて、副作用の宝庫となっています。はじめのころは病気について知識が足りず、苦い経験もしましたが、『自分の体に無責任ではダメだ!』と気付き、妻の協力を得ながら書物、インターネット、新聞、テレビなどから学び、各種講演会、セミナー、がん患者集会にも参加して、必死で勉強し情報を集めました。そのかいあって医師との細かい相談も可能となりました。

生き抜こうという強い意志と行動力が、自分の命を救うためには必要なのだと思います。今では、一番の趣味であるスキーを続けるためにトレーニングを重ね、娘と毎年(32年間連続!)スキー旅行を楽しんでいます。担当医や看護師さんたちにも『ほかの患者さんたちの希望の星』とおだてられ、毎年冬が来るのが楽しみです。

治療中でも何もできないわけではありません。『体は病気だけど、心まで病気になっていないね』と言ってくれる周囲の人たちの言葉も励みです。希望を持ち続け、チャレンジを続けていきたいと思っています。

4.「がん難民」になっても治療をあきらめない

単身赴任先でがん告知を受けたときは、『そんなバカな! こんなにピンピンしているのに、何かの間違いではないか?』と心の中で叫びました。自宅近くの病院に転院しましたが、『もう手遅れですから治療しても意味がありません』と突き放され、治療してくれる医師を必死で探しましたが見つからず、いわゆる“がん難民”となってしまったのです。

抜け殻のようになった私は、妻とともに旅へ出ました。つらく悲しい旅でした。しかし、その旅先で『治療を引き受けてくれる先生が見つかった!』との連絡を受けたのです。『これで治療が受けられる。何とかなるかもしれない! 暗闇に一筋の光が差し込んできた!』まさにそんな気持ちでした。

翌日から治療を始め、約8年たった今も治療継続中です。医師探しに奔走してくれた妻と、治療を引き受けてくれた医師、その医師を探してくれた知人の医師に心から感謝しています!

5.治療法の決定には、納得する過程が必要

私は、6回の化学療法を受けた後、骨髄移植を受けました。その経験から、治療中やその後の生活が具体的に想像できるように、十分な説明を受けることが大切だと実感しています。また、私自身、骨髄移植を受ける際、説明を受けて同意するまで1週間の時間をもらいました(納得できる時間が必要という意味です)。治療法の決定には少し時間をもらい、その間に家族と話し合ったり、セカンドオピニオンを聞いたり、迷ったりしながら、納得する過程が必要だと思います。

6.心強いサポート役の存在で、治療を受ける決心ができました

乳がんの手術後、化学療法の選択で迷っていました。精神的に苦しくなって追い詰められた私は、目の前にいた看護師さんに「どうしたらいいか、困っている」と正直に打ち明けました。すると、「選択に苦しむ患者さんは多いです。がん相談支援センターや化学療法専門看護師にも話してみて。院内で使えるものは何でも使って」とアドバイスしてくれました。

がん相談支援センターの相談員や専門看護師の方は親身になって相談にのってくれました。セカンドオピニオンの利用法や患者会を紹介してもらい、さらに不眠のときには精神腫瘍科も受診できると聞きました。次々に会った人と相談できて、心強い味方を得て、落ち着いて化学療法を受ける決心ができました。治療中はとかく担当医に全てを頼り、関係が難しくなったりしがちですが、こんなにたくさん患者サポート役がいると知りました。特にがん相談支援センターはそこからいろいろな専門職につながっていくので、困ったら何でもまず声をかけてみると、きっと助けを得られると思います。

7.緩和ケアとの出会いのおかげで、がんと向き合える

私は「がんと言っても治る時代になりつつあるし、切れば治る」と黄疸(おうだん)で即入院したにも関わらず深く落ち込みませんでした。病棟には「緩和ケアチーム」の掲示がありましたが、身体のどこが痛いということもなかった私には関係ないと思っていました。その後、手術もむずかしく、再発転移の可能性が高いがんと医師から知らされました。厳しい数字と現実に衝撃でしたが、転院して治療を受けると決心したので、「このつらい思いは胸に納めていよう」と思いました。しかし、転院先への聞き取り時に看護師さんに思わず苦しい気持ちを漏らしました。私のつらい気持ちを知り、病院間の緩和ケアチーム同士の申し送りで緩和ケアをスムーズに受けられるよう手配してくださいました。おかげで転院直後より、緩和ケアを受けることができ、担当医に聞けない話も聞いてもらいました。今思えば「緩和ケアのおかげで逃げることもなく今もがんと向き合うことができているのだな」とようやく気がつきました。

8.がんとつき合う気持ちで前向きに

40歳代で多発性骨髄腫の告知を受け、末梢幹細胞移植を2回行い完全寛解を得ました。完治の望めないこの病気ですが、今のところ再発の気配はなく元気に生活しております。告知を受け、治療に入り、常に頭の中にあったのは、この病気の平均余命そして無再発生存率などの数値でした。がんを抱えて生きていくと、どうしてもこれらの数値が気になって、なかなか前を向いた治療や生活を送りにくいのですが、数値は過去のものです。私は新たな治療法が日々現れる今、10年前に治療を受けられた方の生存率は、今から治療を受けられる患者や、今、治療が終わられた患者にとってはあくまでも参考値だと考えました。そして、生きていれば次がある、なんとかなるさと考え、この病気とつき合っていこうと考えました。再発してもなんとかなるさと少しでも長く生きること、そして、なんとかなるさと思えるように治療への知識をつけることも大切だと思います。

9.大切な日々を積み重ねていく

進行した腎臓がんの分子標的治療導入のために入院したとき、これから私はどうなるのかと医師に尋ねました。しかし、これからのことはやってみないとわからないと言われました。そして2人に1人が、がんになる時代。元気な人よりも少しだけがんになる時期が早かったと思い、今を大切にしてほしいとアドバイスをいただきました。それは決して諦めることではなく、大切な日々を積み重ねていくことだと理解しました。

私にとっての一番の原動力は病気が教えてくれました。仕事を続け、同じ病で悩む人の力になることです。がんの進行と副作用の影響で、できなくなることや失っていくものはあります。だけど最後まで希望は失わずにいたい。治療のために生きているのではなく、幸せになるために生きているのだから。

10.ちょっと先の目標や夢を持って、生き抜く

自分のがんが治らない、そして予後が悪いと診断されたとき、目の前に大きな鉄の扉が下ろされたような気持ちになりました。

受け入れることは容易ではなく、夢を見ているような、他人事のような感覚からなかなか抜け出せずにいました。

そして、その扉まではどれくらい時間があるのか、そんなことばかりを考え、できることをできるうちに……と自分がいなくなったときのことにばかり考えていました。

しかし、あるとき、「死に支度」ばかりしている自分に気がついたのです。

「まだ自由に動ける身体がある」「まだ何だってできる」そう思うと気持ちが少し楽になり、「できるだけ普段通りの生活をしよう」と思うようになってきました。もちろん、長期計画は持てませんが、ちょっと先の目標や夢を持って暮らしていくことが鉄の扉を少しずつ向こうに押しているような気がしています。そして今は「生き抜く」ということを自分への目標として生活しています。
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