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がんと暮らしの体験談

がんと診断されたとき

がんの疑いがあると言われたとき、がんと告げられたとき、不安を感じるのは自然なことです。動揺するのも無理はありません。ここでは、がんが分かったときの本人や家族としての気持ち、どのように情報を集めたか、医療者との関係などに関する体験談を紹介します。

1.診断されたときの気持ち・経験

娘の言葉が、がんに向き合う勇気をくれました

6年前、人間ドック受診をきっかけに食道がんと診断されました。告知されたときは、頭が真っ白になりました。今後のこととあわせて「5年生存率」を医師に質問し、「ステージによるけど全体で40%」という返答の、40%という数字だけが心に刻みこまれました。正直なところ「死」を意識しました。

その夜、妻と高2だった娘に病名を伝えました。「10人いたら5年後には6人はいなくなってしまう」という5年生存率の説明に、娘は、「パパは10人のうちの4人になるって考えればいいんじゃない」と少し怒ったように言ったのです。

ハッとしました。心が弱り、悪いほうへ悪いほうへと考えていたんだと…。同時に勇気づけられました。その後あらためてがんのことを調べに調べ、闘病記もたくさん読みました。そうして気がついたのは、絶望的になっているのも自分だし、こんなにも真剣に命と向き合い、いとおしく命を感じているのも自分だということです。無理に前向きな気持ちになる必要はないし、かといってネガティブなことばかり考えているわけでもない。そのあいだを行ったり来たりして、些細なことで揺れ動くのが人間なんだ…ということです。

がんになったことは変えられません。治療も後遺症もつらいことが多いです。でも、日常のあたり前のことに感謝し、限りある命を見つめていくきっかけになったと思います。

(60代 男性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

発達障がいの娘も一緒に!家族みんなでがんと闘いました

私はがん検診で大腸がんが見つかり、妻と一緒に告知を受けました。ショックはありましたが、主治医に「近年、大腸がんはよくなる人も増えています。一緒にがんばりましょう」と励まされ、治療に臨むことにしました。

私の家族は、妻と発達障がいをもつ小学生の長女の3人です。このとき、長女に私のがんを伝えることをためらいました。長女がショックを受けるだろうし、また障がいがあるから理解できないだろう、もし理解できても学校で友達や先生に言いふらしてしまうかもしれないと考えたのです。私自身、気持ちに余裕がなかったからかも知れません。

結局、長女に伝えず手術を受けました。手術後、術後補助化学療法(抗がん剤治療)により、次第に副作用の影響が現れる私を、長女が疑いだしました。申し訳ない気持ちになり「大腸がんなんだ」と伝えました。今まで言わなかったことも「ごめんなさい」。でも「今も変わらず、長女が大好きだ」っていうことを丁寧に話しました。長女は理解できないようで、その後何度か話しましたが、ようすは同じでした。

しばらくたったある日、私が副作用で苦しんでいると、長女が、「生きてるだけでいいんだよ!」と話しかけてきました。「はて?生きてるだけ?」とたずねると、「だいちょうがんなんだよね。」と長女は笑顔で答えました。人の気持ちを考えるのがとても苦手な長女が、懸命に考えて労わりの気持ちで話しかけてくれたと理解したとき、私は胸が熱くなり嬉しくて嬉しくて、しばらく涙が止まりませんでした。

(40代 男性)

(2024年7月寄稿)

若くして希少がんになったことで感じた孤独

私は28歳で、妊娠をきっかけに発症する「絨毛がん」という希少がんを患いました。医師から初めて話を聞くまで、こんな病気があることなどまったく知らず、何かの間違いだと思う一方で、「がん」という言葉に、漠然とした不安と恐怖におそわれました。

妊娠のよろこびから一変してがんと告げられ、抗がん剤治療をすると今後の妊娠にも影響が出るという事実をなかなか受け入れられず、「どうして自分が…」と、考えてしまうことばかり。元気に過ごす周りの人とのギャップや、「若いから大丈夫」という言葉に、かえって「若い」というだけで病気のつらさを軽視されているように感じて傷つきました。入院治療のため幼い子どもと離れなければならない不安など、若い世代だからこそ感じるつらさもありました。また、珍しいタイプのがんだったこともあり、同じ病気を経験された方の話を目にすることもなかったため、この病気であったが故の孤独感も抱きました。

それでも、自分以外にも「がん」を経験し、乗り越えている人がいること、つらいのは決して自分だけじゃないということが心の支えになっていたので、同じように病気になった人に「一人じゃない」ということを伝えたいです。

(20代 女性)

(2024年7月寄稿)

2.情報を集める

情報化社会においての取捨選択

がん告知を受けた時期に、情報を得ることは非常に重要です。信頼できる情報源からの正確な情報が、診断後の治療や生活の質を向上させる手助けとなると考えています。

私ががんを告知されたのはクリニックだったので、市内でいちばん大きな病院に紹介状を書いていただいたのですが、診断時に「うちでは治療ができないほど進行している」と言われてしまいました。そこでもたらい回しにされてしまいましたが、その後、県内でいちばん大きな病院で治療を受けることになりました。

当時は「病院を選んでいる間に進行していたらどうしよう」など、漠然とした不安がありましたが、今思えば正確な情報を得るためにはしかたのなかったことだと思います。私は、学会での研究発表や最新の情報を知っている主治医の説明が、正確かつ鮮度が高い情報だと考えています。また、学会が発表するがん治療のガイドラインの書籍が、治療の始まったタイミングで改訂され発売されたので、そこから情報を得ていました。

現在の情報化社会では、誰もがすぐに情報を得ること、発信することができます。正しい情報を得るためには膨大なデータのなかから取捨選択する必要があると私は考えています。1人であれこれと悩むのはメンタル的にもよくありません。医療機関の方々に何でもしっかり質問をすることが大事だと思います。

(20代 男性)

(2024年7月寄稿)

診断後、ショックに向き合う間もなく、情報収集に追われた

「もしかして、これ…」と心臓が凍りつきました。たまたま自分で触診をしていたときに見つけた胸のしこり。人生の大きな転機のまっ最中で、忙しくしていたときでした。それが乳がんだと判明し、絶望の闇に突き落とされたショックと混乱は、今でもはっきり覚えています。

でも、治療のために決めなければいけないことがたくさんあります。乳がんについても知っておかなければ…と気を取り直し、情報を集め始めました。インターネットや本はもちろん、がんを経験した知人から話を聞き、セカンドオピニオンも求め、まさに「使えるものは全部使わせてもらう」という勢いでした。主治医が決まってからは、毎回の短い診察時間にあわせて要点をまとめておき、質問を重ねました。がんについて知るということはネガティブな事実を含めて知ることでもあり、つらい作業でもありました。

不安を募らせていた私に、ある医師が何気なく言った「悲観的になったらダメ、前向きでいなさいね」という言葉。がんに対して自分は無力だと信じこんでいましたが、できること(悲観的にならずに前向きでいること)もあるのだと、少し気持ちが軽くなったのを覚えています。がんをきっかけに多くの人と知りあい、その方たちに助けられてきました。今では、私自身もサポートを必要としている方の力になれたらと願っています。

(50代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

希少がんセンター発信の情報が、とても役に立ちました

妻が、アスベスト曝露が原因とされる希少がんの一種である悪性胸膜中皮腫の診断を受けたのは、2016年でした。当時、患者が理解可能ながん情報の入手はとても難しく、まして希少がんの情報は皆無に近い状態でした。当時「がん情報サービス」も有用ではあったものの、希少がんに関する情報は十分ではなかったと記憶しています。

そのような状況のなかで「国立がん研究センター 希少がんセンター」が発信する情報は、情報の入手が難しい希少がんの患者・家族として、とても役立ちました。希少がんの正しい情報収集という面では、大げさではなく闇夜に得た光明のように感じておりました。また、私がもっとも有用であると感じているのは、希少がんセンターが企画しているイベントやセミナーで、希少がんの専門家のお話を直接聞くことができ、質問もできます。

希少がんにおける情報収集に困ったときは、全国にある希少がんセンターの「希少がんホットライン」への電話相談や、国立がん研究センター 希少がんセンターのホームページにアクセスするのがおすすめです。

(60代 男性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

信頼できる情報を調べ、主治医と相談し、治療する病院を選ぶ

血液検査でPSAの数値が高かったため、がんの専門病院を紹介されました。いくつかの専門病院があるなかで、患者にやさしいという評判を以前から聞いていた都内の病院を選びました。

MRI検査や生検の結果、前立腺がんとの診断を受け、主治医からは、治療法として手術か放射線治療を選択できると説明されました。手術以外の選択肢はないかと思い、自分でもインターネットで調べました。主治医に紹介状を書いてもらい、未承認の治療を行っている病院を訪れ説明を受けましたが、まだ治験段階で、認可までには時間がかかることから断念しました。

次に放射線治療についても、生存率や治療後の副作用などをインターネットで調べて手術と比較しました。また、放射線治療の一種・小線源照射治療があることなどがわかりました。小線源照射治療を受けられる病院を探すときは、学会やがん専門病院が発信している情報を頼りに、治療件数の多い病院、自宅からの距離などを切り口にしました。自分が納得するまで調べたいという気持ちでインターネット検索し、今の病院の選択に至りました。

(70代 男性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

医師や公的機関から信頼できる情報を得た

「今日、病院に来てもらうことはできますか?」食欲がなく食べられないのに体重が増えていたため、数日前に血液検査を受けた消化器科の医院から、電話がかかってきてこう言われました。

肝臓の数値が異常な高さだったので、翌日大きな病院で再検査のために入院。そして入院中のMRI検査などで、肝細胞がんと診断されました。手術に備えて肝機能を回復する治療を受け、いったん退院しました。
その後、紹介先の病院で手術を受けました。

あまりに早く多くの検査が続き、体のしんどさもあって、考える間もないうちに進んでしまった感じです。

検査結果やがんに関する不安が実感として湧いてきたのは、術後でした。覚悟はできていたつもりでしたが、当然、仕事や今後のことなど大きな不安がありました。しかし、複数の医療機関でそれぞれの医師から同じ内容や方向の話を聞いたり、ネットなどで公的機関の情報を得たりしたので、検査や診断に対してとくに疑問はもちませんでした。がんという現実を受け入れるのはつらいですが、受け入れなくてはという感じでした。医療の充実や情報が手に入ることのありがたさに感謝しています。

(70代 男性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

3.医療者との関係

闘病するうえで「医師との信頼関係」はとても大事なこと

私は、医療機関を選ぶポイントとして、部位ごとの手術実績(件数)を参考にさせていただきました。

我が家は、父、母、姉、兄ががんに罹患し、闘病していました。そのときに感じたことは、病院選びも大事なことではありますが、なによりも主治医との信頼関係が築けることが大事なように思います。

主治医からの説明を少しでも理解できるように、正しいと思われる情報をネットから収集し、すい臓がんについて調べました。そのうえで、疑問や質問を整理し、診察時に主治医へ効率的に質問できるよう、準備してから臨みました。また、本人から聞いた情報(食欲や体調など)もメモに残し、いつでも主治医へ伝えられるようにしていました。

入院中の不安な思いや、病気の進行状況や治療の選択肢について、可能なかぎり主治医の先生に相談する時間をとっていただきました。話をしているうちに、ずっと我慢していた涙があふれ出し、聞いている主治医の目にもうっすらと涙が浮かび、私はこのときに、先生もいっしょに闘って下さっているんだと、感謝の気持ちを覚えるとともに勇気づけられたように思います。そんなところから先生との信頼関係を築くことができたように思います。「この先生になら、家族を安心して任せられる。」この先生が一生懸命に向き合ってくださり、いつか力が尽きる日がきたとしても、本人も家族もきっと納得ができる、そんな風に思わせてくれました。

(50代 女性)

(2024年7月寄稿)

家族との生活を大切にしながら治療したい私を支えてくれた医療者の皆さん

告知のとき、先生は3冊の本を開いて説明してくれました。それから何度も先生と話をしました。長く厳しい治療となるようでした。そのなかで私は、家族との時間を大切にしたいと伝えました。主治医としっかり話せたことも、治療への不安を減らしてくれたと思います。

治療が始まると、多くの副作用に悩まされました。吐き気、発熱、だるさ、しびれ、口内炎などです。他の科の先生、看護師さん、薬剤師さんが、治療を支えてくれました。いろいろな提案や乗り越えるヒントをくれました。学校行事やイベントに合わせて、治療スケジュールを調整してくれました。休薬することもありました。つらいときにはつらいと伝えました。

オンとオフを意識することは、大事だと思います。朝、笑顔で家族を送り出したり、食事をつくったり、笑い合ったり、そんな目の前の小さなことが、目標であり、私の日々の治療のモチベーションになったと思っています。

(60代 女性)

(2024年7月寄稿)

人生の痛みに寄り添ってくれる緩和ケア

ひとり親の私が肺がんと診断されたのは、娘の小学校卒業式を控えていたときでした。気が動転したままの治療開始後は、術後の強い痛み、抗がん剤の副作用、休職など、次々起こる問題に気持ちがついていかず、誰にも相談できなかった私は、子どもへの申し訳なさと膨れ上がる不安の塊に胸が押しつぶされそうでした。

そんな自分が救われたのは、緩和ケアセンターの看護師さんとの出会いでした。最初の治療からちょうど1年、今度は乳がんが見つかったときでした。看護師さんは面談を通して、家族にも話せなかった私の苦しみを涙とともに受けとめてくれました。また薬剤性肺障害で2カ月の入院をしたときは、緩和ケアチーム全体で親身なサポートをしてくださり、退院までがんばることができました。

支えられて10年近く。繰り返す治療で何度も心挫けますが、それでも自分らしく今を生きたいと希望をもっていられるのは、私の人生に寄り添い続けてくれている緩和ケアの看護師さんたちのお陰です。おとなになった娘も、無事に自分の道を歩んでくれています。

今は、がんと診断されたときから緩和ケアをお願いできます。体だけでなく生活のことや家族のことなど不安を抱えている人に、ぜひつながってもらいたいです。サバイバーの友人がいつも言っていました。「Yちゃん、緩和ケアの看護師さんに何でも相談したらいいんだよ。」皆さんのつらさがどうぞ緩和されますように。

(50代 女性)

(2024年7月寄稿)

落ち着きを取り戻すきっかけとなった看護師からの前向きな声かけ

20年前のことです。いつもなら人間ドックの検査結果の知らせが届いても、すぐに確認することはなかったのですが、このときはなぜか気になり、封筒を開けました。検査結果に「お伝えしたいことがありますので、ご来院下さい」とありました。

待合室で名前をよばれ診察室に入ると、医師からがんであると告げられました。頭が真っ白になったまま、病院を出ました。家に帰って妻に、「がんだった」と言うと、「冗談でしょ」と初めは信じませんでしたが、私の表情から冗談ではないと悟り、沈黙。それからしばらく、わが家から笑顔が消え、涙が涸れるほど泣きました。とりあえず、治療(手術)をどこの病院でしてもらえるのか調べ、自宅近くの総合病院で再検査を受け治療に入りました。

20年前のがんは「不治の病」でしたので、手術の順番を待つ3カ月の間はつらい日々でした。しかし看護師の方から、手術ができることへの前向きな声をかけられ、少し落ち着き、家族、両親、友人の見舞いにも感謝できるようになりました。手術は3時間ほどで終わり、目が覚めたときは集中治療室で、その2週間後退院となりました。がんの告知から手術までの間に「命の尊さ」と「生きる喜び」を実感しました。

人間ドックの早期発見でがんが見つかったことで、今も私は以前と変わらぬ暮らしをしています。改めて、早期発見が、がん治療の第一歩で最善策といえるでしょう。発病から20年過ぎた今、生きているだけで、幸せだと思えます。

(60代 男性)

(2024年7月寄稿)

4.家族としての関わり

「がんの告知は、夫婦二人三脚」で

「悪いことは重なる」と思わず口にしたくなるような経験は、誰にでもあることだと思います。私は、「がんの手術をする」と妻から聞かされたときが、まさしくその経験でした。そのころ、私は仕事の面で関係部門との調整に追われ、夜遅くまで職場にいるような状況でした。そうしたときに父が亡くなり、父の葬儀を済ませて仕事への復帰を焦るなか、妻は1人で手術の日程を決めてきていたのです。

総合病院での検査で子宮体がん(子宮内膜がん)の疑いといわれ、がん診療連携拠点病院を紹介されていた妻は、私の事情を考慮して予約日を変更して1人で受診していました。余裕のなかった私は、手術ができるのは早期発見と勝手に思いこみ、しっかりと聞いていなかったのです。妻の話ははっきり思い出せないけれど、子どもたちにはどう伝えようかと、妻が1人で悩んでいたことは思い出せます。妻の優しさを感じつつ、本当に情けないほど後悔しています。がんの告知は、頭が真っ白になって、何を聞いたのかわからなかったという話も聞いたことがあります。1人でがんの告知を受けた妻は、私に伝えたいと思っても、うまく思い出せなかったのかもしれません。

今、2人に1人ががんになる時代だといわれています。がんの可能性があるときには、夫婦2人で病院に行くことをふだんから確認するなど、話しあっておくことも大切だと思っています。また、がん治療中、医療者とのコミュニケーションができていなかったとも後悔しています。国立がん研究センターのがん情報サービスで、信頼できる「がんの知識」を得て、その情報をもとに主治医や医療者とのコミュニケーションに役立てることができるでしょう。また、がん相談支援センターなどにも相談を行うことで、不安が解消できると思っています。がん治療中のご家族の不安が少しでも軽減できるようになって欲しいと願いをこめて手記をしたためてみました。

(60代 男性)

(2024年7月寄稿)

いつもと違う変化を感じたら、すぐに病院へ

日本人の2人に1人ががんと診断される時代、僕は自身と母のがんを経験しました。

僕ががんと診断されたのは2歳のときで、小児がんの一種と診断されました。頭にたんこぶのようなものがあり、レントゲンを撮ると黒い影が写っていました。その当時の僕自身の記憶はほとんどありませんが、家族は大変だったと聞きました。その後、4歳と10歳のときに再発を経験しました。10歳のときは突然頭が痛くなり、検査すると病気が全身にまわっていることが分かりました。一歩遅ければ手遅れだったと、のちに当時の主治医から言われました。

母のがんを経験したのは僕が15歳のときでした。母は活発で、自分のことより地域のこと、家族のことなどを優先して行う人でした。しかし突然、地域の活動を「体調が悪いからお休みするわ」、「しんどいから横になっているわ」ということが多くなりました。「すぐよくなるから」と病院には行かず家で過ごしていた母は、体調が急変し帰らぬ人となってしまいました。肝臓がんでした。これからどうしようという気持ちでいっぱいになりましたが、周りの人たちのお陰でなんとか乗り越えてこられました。

私の経験では、突然起こる異常事態の前には、何か小さな変化がありました。この変化を見逃さないことが大事なのではないかなと思います。そして、何よりいつもと違う変化があったらすぐ病院に行くことをためらわないことが大事だと思います。

(20代 男性)

(2024年7月寄稿)

更新・確認日:2026年09月15日 [ 履歴 ]
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2026年09月15日 掲載しました。
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