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がんと暮らしの体験談

がん療養中に考える暮らしのこと

がんと診断されたあとの生活に、戸惑いや悩みを感じることがあるかもしれません。ここでは、仕事のこと、趣味や楽しみを見つけたこと、患者サロンに参加したことなど、治療中や療養中の生活に関する体験談をご紹介します。日常の暮らしのこと、仕事や学校のこと、楽しみな行事や趣味のことなど、どんな生活をしていきたいか考えるヒントになるかもしれません。

1.仕事

出向中に受けたがん告知と仕事との両立

がんと診断されたのは、ある団体へ出向し、単身赴任をしていたときのことでした。がん治療は仕事と両立できるから「ビックリ離職」しないようにと、世間でいわれていることは知っていましたが、仕事はどうしよう、住み慣れない土地での暮らしで、何かあったとき1人で大丈夫か、などと考えました。

私の会社には、勤続期間に応じた休職制度や、有給休暇に加えて、傷病時など用途限定の休暇がありました。それらがあれば治療と両立できそう、と当初は思っていました。しかし、出向者は、出向先の制度に従う、という規定から私が使えるのは有給休暇のみだと知りました。そのときの業務は、私にとってチャンスでもあり、出向期間の途中で手放したくないという思いがありました。仕事の相方や関係先へ負担をかけることから、早々に後任の人選依頼が必要か、と悩みました。

主治医に仕事内容と環境を伝え、治療内容と入院・通院見込みや、人によって違いがあることは承知のうえで、同じ治療をしている人たちのようすをお聞きしました。半日仕事をしてから抗がん剤治療、術式や経過によって変わるが手術時の入院期間は3~10日ぐらい、放射線治療は平日毎日5~6週間の通院が必要だが時間は短時間…など。それらを仕事の相方に伝えたところ、無理は絶対してほしくないが、カバーするからいっしょに仕事を続けましょう、という大変ありがたい言葉を聞くことができました。

(50代 女性)

(2024年7月寄稿)

「両立支援」は働き続けたい人の味方

私は食道がんの治療を受けるにあたり、まず復職を第一の目標に掲げました。経済的な面はもちろん、社会とのつながりをもち続けたかったからです。治療開始から7カ月後、やっと復職することができました。

しかし、治療と仕事の両立は、理想どおりにはいきません。復職当初はいろいろと配慮してもらっていましたが、しだいに以前のように効率や生産性を求められるようになりました。しかし治療後、私は体重の激減、体力の低下により、思うように仕事ができない負い目を感じていました。そのようなとき、同僚から投げかけられた心ない言葉をきっかけに、退職を選びました。

現在、私はピアサポーターとして活動をしています。今から振り返ると、病状や後遺症だけでなく、自分ができること・できないことを丁寧に周囲に説明し、それを書類など共有しやすい形で伝えることができていたらと思います。また、周囲の人への伝え方だけでなく、自身の状況を相談できる場や手術後の生活の工夫などを聞く機会があれば違う結果になったのかもしれません。

最近では、両立支援のガイドラインも整備されつつあり、両立支援コーディネーターに相談できる機会も増えています。1人でがんばりすぎずに、がん相談支援センターを活用してください。

(60代 男性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

仕事を辞めると決める前にまずは治療を始めてみては

乳がんの手術後、私は放射線治療に通うことになりました。

告知ももちろんショックでしたが、「週5回×5週間、計25日間の放射線治療が必要」との説明を受けたときに「仕事をどうしよう」、「なんとか放射線治療を回避する方法はないか」ということばかり考えてしまいました。しかし職場から通える放射線治療のための病院を紹介していただき、仕事の休憩時間帯を調整してもらうことで、休職することなく放射線治療を行うことができました。

治療の仕事への影響は不安でしたが、始めてみると仕事をしている時間は、病気や治療のことに気がいかずにすみました。私にとって仕事を続けることは、不安な気持ちを紛らわせることができる一助となったのです。

その後、ホルモン治療を続けながら、県のがんピアサポーターになりました。そこでほかのがん患者さんから「がんの診断を受け、まず仕事を辞めました」というお話を伺うことが少なくありません。もちろん治療に専念しなければならない場合はありますが、薬の副作用や体調など、実際に治療を受けてみないとわからないことはたくさんあります。休職制度なども利用しながら、まずは仕事を辞めずに治療を始めてみることも、がんという病気とうまく付き合っていくことにつながる方法の1つではないかと、私は感じています。

(50代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

「休みやすく、復帰しやすい」環境づくりを目ざしました

私は社員・パートあわせて13名の会社を経営しています。202X年、ステージⅢaの乳がんの告知を受けてすぐ、社内には朝礼で、また、社外には、SNSを通じて公表しました。賛否ありましたが、早期発見ではない以上、長期間仕事をセーブし、通院の協力を得るためにも、真実を伝える選択をしました。

このとき、早めの公表を決断してよかったと思っています。当初は、治療に専念するつもりでしたが、仕事と治療を並行していくことになりました。私の公表がきっかけで、乳がんを発見した社員さんがでたからです。幸いなことに、早期発見だった社員さんの療養期間は短く、彼女の希望どおり有給休暇で対応しています。

治療と仕事の両立を図るなか、私は経営者として2方向の努力をしました。銀行融資で資金調達をし、派遣会社から人材を補充、フォローのために仕事が増える全員への特別手当などの対策をとることで、誰もが報われるしくみを目ざしました。また、私自身が明るく過ごすことと、朝礼の時間のコミュニケーションを濃くすることで、皆の不安が最小で済むように、人間関係を良好に保つよう心がけました。

中小零細企業こそ、「お互いさまの気持ちで、休みやすく、復帰しやすい」体制を普段から整えておくことと、「早期発見、早期治療」を啓発することが大事だと思いました。

(50代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

2.日々の過ごし方や気分転換

波立つ心のリセット ときにはあえて休がん日を

「肺がんです。ほかにも多数の影があるので、術後も経過観察をしていきましょう。」この診断を聞いた途端、その場でメンタルが撃沈。不安のあまり手あたり次第に集めた玉石混交の情報が、かえって仇となり、心身ともにオーバーヒート。多数の影の正体は、炎症かそれとも腫瘍か、次回診察日までの時間は、まるでロシアンルーレットをしているような気分でした。

いま思えば、当時の私に必要だったのは、出自の怪しい情報やデータに振り回されることではなく、休肝日ならぬ休がん日をつくることでした。片時も頭から離れることのない悩ましい病だからこそ、ときには、あえて距離を保ち、根拠のない恐怖や妄想に一喜一憂することなく、日々の暮らしの心地よいと思えるひとときに、もっと目を向けるべきでした。

がんとうまく付き合っていくためには、信頼できる情報の取得と程よい距離感。これもかけがえのない患者力だと思います。

(60代 女性)

(2024年7月寄稿)

がんばっている体のために、「今はゆっくり休む」とき

乳がんの術後化学療法の初回から1週間過ぎても、体はちっとも楽になりませんでした。吐き気、口内炎、胸から頭皮にかけての発疹、体中の痛み……。ままならない自分の体を持てあまし、家族にあたる自分がイヤになりました。また、化学療法期間中に復職するつもりでいましたが、こんな調子ではとても無理だと焦りに苛まれました。

こんなはずじゃなかったのに……、そんな気持ちを、医師でもある友人に打ち明けました。友人は、「どうしてもつらければ、薬の量を調整することもできるよ。でも、できるだけそうならずに済むように、あまり先のことは考えず、今はゆっくり休むの。体はがんばってくれているのだから」そう言ってくれました。

私はその言葉のおかげで、自分で自分をいたわることを忘れていたことに気づきました。化学療法の副作用はその後も続きましたが、「今はゆっくり休むの」と心のなかで繰り返すことで、体はつらくても心は穏やかに過ごせた気がします。

がん治療中は体調が整わず、自分の役割を果たせないことに焦りやいらだちを抱えてしまうこともあるでしょう。薬局薬剤師として復職してからは、同じようなつらい思いを抱えている患者さんにお会いすると「今はゆっくり休みましょう」とお声がけしています。

(50代 女性)

(2024年7月寄稿)

私が私らしくあるために、ちょっと先の楽しみを見つけて

母子家庭で、子ども3人と暮らしています。
検査前後や治療中はとくに不安でいっぱいになりました。それでも、あたり前に生活は続きます。私が私らしく生きるにはどうすればいいのか、それを考え続けました。

心の不安はがん相談支援センターや患者サイトの仲間に聞いてもらうだけで軽くなるし、アドバイスをもらえます。1人で考えていても、いいことなんてありません。

何より、主治医は、私の人生マラソンの心強い伴走者です。行事の予定を伝えて、抗がん剤の投与スケジュールを調整してもらい、卒業式や入学式など、可能な限り学校行事に参加することができました。娘とライブ旅行にも行きました。脱毛時には、ウィッグを使いティント眉で整え、爪を保護するネイル、そしてメイクも忘れません。

2度の再発でオストメイトとなったあとも、「今の自分を私が大事にしなくてどうする」と自分を奮い立たせています。「ずっと先は考えない。ちょっと先に楽しみを見つけて、それを先送りにしない。」「たぶん明日は生きている。」

好きなことを手繰り寄せながら1日1日を過ごしていたら、いつのまにか歳を重ねていけるんじゃないかなと信じています。

(50代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

趣味はがん治療中の私の元気の源でした

私のがん治療の生活に希望をもたせてくれたのは、いろいろな趣味や楽しみの存在です。
ある年に、有棘細胞がん、乳がんの2つの手術を受けました。このときは、趣味の合唱が、気持ちを前向きにしてくれました。治療が落ち着いている10年の間に第九の合唱に参加、2度も大阪へ行くことができました。練習も含めて、各パートのハーモニーが響きあったときには感動を覚えました。

3年前に今度は膀胱がんが見つかり手術、手術後の頻尿や排尿時の痛みに悩まされました。
「なんでまた」とガッカリした気持ちになりましたが、私は東京での第九の合唱に参加することを目標にしました。2カ月ほどでふつうの生活に戻ることができ、病状が落ち着いたころ東京で合唱に参加し、高らかに歌うことができました。

私の場合は、何かに挑戦することで心が元気になり、がんに対して抵抗する力が強くなった気がします。
もともと好奇心旺盛な性格ですから、次は何にしようか?油絵の再開?旅行の計画?夢は果てしなく続き、興味はつきません。
どんなにつらくても、これが私のがん治療に対する元気の源です。

(70代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

ドライブが気分転換に

直腸がんステージⅢbの診断を受け開腹手術し、1カ月あまりの入院をへて、誕生日の数日後に無事退院することができました。家に帰って自宅療養となりましたが、もともと、あまり家にじっとしているのが得意でもなく、なんとなく妻とドライブに出かけました。海のほうに向かって車を走らせ、たどり着いたのは湘南の海岸沿いのカレー屋さん。退院直後にカレーはどうかとも思いましたが、海を見ながら美味しくいただき、「あ~、気持ちいいなぁ……」と無事退院できたことを実感しました。

その数年後、今度は妻ががんで手術を受けることになりましたが、毎回退院後には同じように湘南の海にドライブして気分転換することが恒例になりました。

私のほうも再発の疑いなど、けっして平穏な日々ばかりではありませんでしたが、幸い今は夫婦ともに元気に過ごしています。

勤めていた会社を定年退職したあと、ほかのがん仲間にもドライブで元気になってもらえればと思い、ドライブサービスのボランティア活動を行っています。利用された方に元気になってもらうだけでなく、私自身もいっぱい元気をもらっています。

(60代 男性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

髪のケアで前向きな気持ちに

ふだんは、外出や外食、または友達と会っておしゃべりしたり、体を動かしたりしてストレスを発散し、外に意識を向けて気分転換や気持ちをスッキリさせるタイプですが、がんの治療中はなかなかそうもいきません。そんなときに、自宅で1人でもできる「髪のケア」で、大変な時期を乗り越えました。

私が受けた抗がん剤治療では脱毛が起きなかったものの、治療後は髪がうねり、太さが不均一になり、パサつきが気になっていました。しかたがないと諦めていましたが、再発治療が決まったとき、友人から勧められた髪のセルフケアを試しました。副作用がないことを確認して、治療中は月1〜2回、自宅で髪のケアをしました。私はその香りで吐き気やだるさ、しびれから一時的に離れることができました。そしてケアをしながら頭にタオルを巻いていると、なぜか洗濯や簡単な部屋の片付けをしようという気持ちになるのです。

具合が悪くて何もできない自分に罪悪感があり、家族にも申し訳ない気持ちでいっぱいになることもありましたが、髪のケアをしているときは、自分にOKを出せました。そして髪につやが出て、手触りもスルンとして気持ちよく、髪がちょっと明るくなると顔色もよく見えたりして、一石二鳥以上の気分転換になりました。

私は髪のケアを通して、嗅覚、触覚、視覚の満足度が上がり、副作用を緩和することができたのかなぁ、と思っています。髪のケアに限らず、自分の五感を満たすアイテムをいくつか知っていると、いざというときの助けになると身をもって経験しました。

(50代 女性)

(2024年7月寄稿)

大事な栄養、自分でできる試行錯誤

私の場合は、抗がん剤の副作用で食べられないとき、術後や腸閉塞でお腹の調子がデリケートなとき、無理なく飲める野菜や果物のジュースをつくりました。材料は箱単位で市場からまとめて送ってもらい、毎日つくって飲みました。すると不思議なことに、だんだん体調がよくなり、血液検査でも数値が改善されてきたのです。

私は、治療は主治医の先生が担当し、患者の私は自分自身の体調をよくすることが担当だと思っています。この両輪がうまく回らないと乗り越えるのも難しいですね。

ステージⅣでがんが見つかり、それから16年間、手術や抗がん剤、放射線、そして治験とできることは全部しました。これからも自分でできる健康法も続け、担当してくださる先生や医学の進歩に感謝していきたいです。

(60代 女性)

(2024年7月寄稿)

3.患者会や仲間とのつながり

わたしにとって、なくてはならない“大切な居場所”患者サロン

乳がんに罹患したとき、私は無職でした。検査、手術をへて、ホルモン療法を開始し、あっという間に半年が過ぎたころ、貯蓄を切り崩して生活していること、何より社会とつながっていないことに対する恐怖心がじわじわと芽生えてきました。インターネットで、がん患者の就労支援を行っている団体のホームページにたどり着き、すぐに相談会の予約を取りました。

会の代表の方は、就労に対する不安や疑問について、1つ1つ丁寧に話を聞いてくださいました。その後、そこでのアドバイスをもとに行動したところ、ようやく社会とつながることができました。また、相談会のあとに患者サロンにも参加し、参加者の方のがんに対する思いや考え方にふれ、また、自分のがんのことを同じがんの人に聞いてもらえることが、とても嬉しくて安心感がありました。そして、数年が経過した現在、私はそこでスタッフとして活動をしています。ピア(仲間)サポート(支えあい)活動を通じて、いろいろな方のお話から、たくさんの気づきを得ることができました。また、さまざまなイベントを通じて、みんなで楽しいひとときを過ごしています。

あのときのインターネット検索で、ここにたどりつくことができて本当によかったです。そのおかげでたくさんの仲間と出会うことができました。がんになってもひとりぼっちではありません。

(40代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

「仲間」とつながることで心が軽く

私は201X年に、乳がんの診断を受けました。そのときは、手術のあとホルモン治療が始まってからもずっと、今後のことが不安で、眠れない時間を長く過ごしていました。

1年がたったころ、がん患者さんの集まる会(患者サロン)に初めて参加しました。患者サロンでこれまでの不安な思いを打ち明け、「私もそうでしたよ」と、話しかけてくださった方の優しい笑顔に、この気持ちは私だけではないんだと、本当に心が軽くなりました。「がんになった」というこの気持ちは、自分が罹患するまで想像もできないものでした。でも、がんの種類や状態は違っても、この気持ちはわかりあえる。そのことが患者サロンに参加して初めてわかったのです。そして5年後、新たに大腸がんの診断を受けたとき、不安よりも、「これからの検査で自分の病状がわかれば、同じような経験をされている先輩方に患者サロンで相談すればいい」そんなふうに落ち着いて考えている自分がいました。

参加するまで、患者サロンのようすも、どんな方が参加されているのかもわからず、ハードルが高いと思う人もいるでしょう。でも不安な気持ちを抱えている方が、この体験談を読んで、いちど患者サロンに参加してみようかな……と思ってくだされば、私はとても嬉しいです。

(50代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

いろいろな患者会に参加してよかった

患者会は私にとって、とても大切な場所です。

がんになって、病院の待合室で待っていても、誰も口をきく人はいません。診察室に入り主治医の先生から、がんの説明を受け、治療方針が示され、副作用の話も聞きました。しかし、私がこれからどのような状況になるかという話を聞くことができませんでした。

そこで患者会の人ならばご自分の体験を話していただけるのではないかと思い、探して飛び込みました。自分だけがんになったわけではない。私より厳しい状況でも、笑って話をしている人がいる。この先について、実感をもって身近に感じることができ、これがいちばんよかったことだといえます。また、肺がんの患者会では、ステージによって皆さんの状況も大きく変わることがわかりました。複数の患者会に参加し、乳がんの人や胃がんで同じステージの話に参考になることがありました。がんの部位は違いますが、いろいろな工夫をされていました。

私にとってのもうひとつのよかったことは、自分のがんの話ができたことです。ふだん、家で思うことがあってもなかなか家族に話をすることができません。自分が不安に思っていること、悩んでいることなど、簡単に言えるわけがないのです。患者会では、それを言うことができる、ありがたさを感じています。

これからもいろいろな患者会の人と話ができるのを楽しみにしています。

(70代 男性)

(2024年7月寄稿)

自分が心を開くことができる人と場

私は、2020年に肝細胞がんと診断され、手術を受けました。職場の必要な人にはがんのことを伝えました。いろいろ気遣ってくださり、「無理しないように…」などの言葉をいただきました。家では配偶者との2人暮らしです。当然がんの話題になります。いっしょに前向きに考えていこうとします。が、当初はなんとなくぎくしゃくしてしっくりしませんでした。友人などにも、がんと言ったらどんな反応をされるのだろうと身構えてしまっていました。また、必要なときにようやく伝えることができ、親切な言葉をもらっても素直に受け取れない自分がいました。

ある日、偶然に出会った古い知人が話のなかで、「私、肺がん。」と明るく、さらりと口に出されました。「あ、こんな方もいるのだ。素直に言ってもいいのだ。」と驚きました。以後、その方の勧めもあって、患者会に参加するようになりました。いろんな方の話を聞いたり、自分のことを話したりしました。それだけで、ずいぶん心が軽くなり前向きになれました。その後、友人などと話しているときに、自分のがんのことを言うこともありました。なかには、「じつは私も…」という人がいて、互いに気を遣わずに話すことができました。

いろいろな形はあると思いますが、主治医や家族だけでなく、心を開いて話したり、聞いたりすることができる人や場所があることは、本当にありがたいと思いました。

(60代 男性)

(2024年7月寄稿)

「1人ではない」と感じることができる場所、患者会

私は血液がん(悪性リンパ腫)の元患者です。

初めて告知をされたとき、悪性リンパ腫という病気をまったく知らず、とても不安になりました。血液がん?抗がん剤治療?とわからないことだらけでした。先生や看護師さんからもちろん説明はありましたが、自分のこととしてなかなか受け入れられず、頭に入ってきませんでした。

調べているうちに血液がんの患者会があることを知りました。ちょうど交流会があるということだったので思い切って参加してみました。参加した理由としては血液がんの患者さんに会ってみたい、実際の治療はどうなのか、という生の声を聴きたいと思ったからです。

初めての参加は正直とても勇気がいりました。すごくドキドキしたのを覚えています。実際に参加してみて本当によかったです。同じ病気を経験した方からの言葉はとても心強く、また親身になって話を聞いて頂けました。患者あるあるなどで盛り上がり、とても楽しかったです。家族や友人などに言えないことを話せて、自分でもびっくりしました。第三者という距離がちょうどいいのかもしれません。

病気になると不安になることも多いですが、患者会に行くと同じような方や、それを乗り越えた方がいらっしゃるので、自分は1人ではないと感じることができました。

(40代 女性)

(2024年7月寄稿)

「浮き輪」になって前向きな気持ちを引き出してくれた、身近な人たち

私は、ひととおりの治療を終えたあと、ホッとすると同時に心の不安定さ、後ろ向きの気持ちにさいなまれました。時折やってくる「ざわざわ」「もやもや」。再発の不安や、抗がん剤の後遺症、自責の念、孤独など。周りからは気づかれにくく、家族には近すぎて話せず、1人で抱えこんでしまいました。

そんなとき、認定NPOで私の話を聴いてくれる人に出会いました。ありがたいことに私が話せると思えるときに、話しやすい環境で私のペースに合わせて聴いてくれました。結果、話すことから始まり、感情に涙し、つらい思いを吐露し、気づくとその方へ「語って」いたんです。同時に、「自分自身と対話」していることに気づきました。今振り返ると夫・父親・社会人の殻を脱ぎ捨てた素の自分をさらけ出せたのだと思います。この過程を通じて、私は自分の力を取り戻す「小さな芽」を感じ取ることができました。

ときには家族、またあるときは友人や職場の仲間、がんサバイバー仲間など周囲の人を、私は身近な「浮き輪」とよんでいます。「今ならこの人に話せる」と思える浮き輪につかまらせてもらう(語る・聴いてもらう)ことで、自分のなかの小さな芽が、生きる力を得て大きく成長したように思います。今もいろいろありますが、日々前向きに自分なりの挑戦を続け、「幸せのベースライン」を1日1日上げていこうと思う日々です。

がんサバイバーとは、がんを経験したすべての人のことです。

(50代 男性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

がん治療で得た経験をシェアしたい

肺がんの治療を終えて約5年がたち、担当の先生と「これで一応ひと段落」と穏やかに笑顔を交わしました。がんが見つかってパニックとなり、気持ちが浮足立ち何も手につかなくなったときには、治療終了のときをこんなに落ち着いて迎えられるとは思いもしませんでした。私にとって治療とは、ぐらつく気持ちが平らになるまでの経過だったなぁと感じています。

とりあえずひと段落はしたけれど、再発のリスクはこの先もあるだろう。いや、別のがんになる可能性もそこそこあるだろう。今はそう思っています。もしまたがんと診断されたら……そのときには改めて前を向いて治療に取り組もうと、落ち着いた気持ちで考えられるようになりました。

がんの治療から5年たち、やっとこのような心境になりました。だから今の私は、この経験をシェアしたいと強く思っています。友人に、親戚に、仕事で知りあった方々に、がん検診の話題などを入口として伝えたいのは、治療のこと、お金のこと、仕事と治療の両立のこと、そしてなによりも相談できるところがたくさんあること、多くの人が支えてくれることを、自分の経験をベースにお伝えしたいと思います。治療は終了したけれど、がんについて体験者の立場から、情報を必要としている方、未病の方に伝えるというアクションを、これからも続けます。

(60代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

4.家族としての関わり

日々の生活のなかで治療に向き合う 家族に寄り添うことの大切さ

主人のがんが判明したのは、長男6歳、次男1歳のときでした。患者本人が年齢的に若かったせいで絶望感も大きかったと思います。術後に仕事に復帰する自信も失いかけていたようでしたが、そのときの私にできることは、そばにいてあげることだけだった気がします。

ですが、子どもが小さいこともあり、病気のことだけを気にかけていることもできません。子どもの世話は待ったなしです。主人も、自分の体調だけにかまけていられない日々を過ごしているうちに、このまま寝込んでばかりもいられないと感じたようです。

最初は仕事に行くのが精一杯というところから、徐々に子どもの行事を見にいってあげたい、可能な範囲で遊びに連れて行ってあげたい、次は旅行に行きたい、家族を楽しませたい、いっしょに楽しみたいという思いが出てきて、それがとても励みになったと言っていました。

病気との付き合いが長丁場になる場合もあると思います。治療を中心に置かざるを得ない状況でも、否応なく日常は続きます。日々の暮らしを大切にしてほしいと願います。

(60代 女性)

(2024年7月寄稿)

家族のがん療養のために心がけたこと

初めに母が、その後姉が同じ種類のがんになりました。2人と一緒にいて強烈に感じたことは、どんなに覚悟していても、準備していても、そのときは突然やってくるということです。しかし、覚悟も準備もやらないわけにはいきません。後悔しないように、できる限りのことをしました。

病院の付き添いも、毎回はできませんが、患者会の方から「担当医から検査結果を聞くときは治療方針の話がでるかもしれない」と教えられ、病院に付き添うタイミングを調整しました。

そして、高くはない可能性の治療法に望みをかけなければならないときもあります。大きな決断を迫られたとき、目の前に急に壁ができたようでした。そんなときは、これは過去に治療を受けた人たちのケースであって私たちではない。私以外、私じゃないのだからと気を強くもつようにしていました。これも患者会の方からの言葉です。患者会のおかげで心に余裕ができたように思います。

2人への接し方は平静を保つよう、急に優しくしたりもしませんでした。どうしたって相手も私に気を使います。なるべく、2人の頭のなかから「がん」を意識しないですむ時間が長くなればいいなと思っていました。会話も少ない家族でしたが、私が家事をしているとき、布団で動画サイトを見てニヤニヤ笑っている姉が見えて、嬉しかったのを覚えています。

(30代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

小児がんでも子どもらしく、私らしく、いきいき生きる

3人兄弟の真ん中が、4歳の誕生日に急性リンパ性白血病と診断されました。幼稚園でたくさんのお友だちととんだり跳ねたり歌ったり、給食やおやつを食べたり、絵や文字をかいたり……そんな希望が、長期の入院治療のために叶わなくなりました。

点滴のついた体では、ベッドの上でできる遊びに限りがあります。命を守る治療を優先することは頭で理解しているつもりでも、友だちとの水遊びや、アスレチック遊びに、ボール投げ……できないことばかりを考えてしまいます。治療の影響で、大好きなお寿司も食べられないなど食事にも制限があります。その一方で子ども本人は、隣の病室の子どもと通信ゲームをし、低菌室4人部屋の仕切りカーテンをあけてトランプやカードゲーム、1人で何体もの人形を使いこなし妄想戦いごっこと、副作用で嘔吐しながらでも全力で楽しんでいます。子どもだからなのか、生きることを楽しむ本能のような強さを感じました。

どんなにつらいことや、受け入れられない事実があっても、今をいきいき生きるための努力を惜しまないことを子どもたちから教わりました。今でも私は、小児病棟で入院の付き添いをしていた当時のつらさを和らげるためのカウンセリングを受けていますが、「いきいき生きる」を我が家の家訓に、日常を過ごしています。

(50代 女性)

「国立がん研究センターのがんになったら手にとるガイド」(2025年)より

更新・確認日:2026年09月15日 [ 履歴 ]
履歴
2026年09月15日 掲載しました。
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